阿川佐和子さんのテレビに出ていた宮本亜門さん、高1で1年ほど引きこもりになったとのお話されていました。そのときに毎日お10枚ほどのレコードを繰り返し繰り返し聞いていたら、あることに気がついたそうです。そして、それが、今の演出家になりたいと決めたんだそうです。四柱推命の大運はどうなっているんでしょう?

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誕生日・1958年1月4日 七赤金星

日  月  年
辛  壬  丁
巳  子  酉

09 19 29 39 49 59 69
壬  辛  庚  己  戊  丁  丙
子  亥  戌  酉  申  未  午

大運9歳まで・壬子

松竹歌劇団専属の元ダンサーだった母の影響により、銀座を中心に歌舞伎座、日劇、日比谷の映画館等にも通いつめる。幼稚園時代には、藤間流家元の藤間勘十郎の下で日本舞踊を習い始め、この時期、映画館で知ったハリウッドミュージカルが好きになる。

また小学生頃(港区立白金小学校在籍)からは茶道をたしなみ、将来は真剣に裏千家の家元か日本美術史研究家になると夢見て、中学から仏像や神社仏閣の美に魅せられる。

また母が肝硬変を患っており、度々死の宣告を医者から受けていたこともあり、精神世界の美術に興味がいったのが原因にもなっている。

花街のど真ん中で育ち、周りは役者や芸者と花柳界の大人たちしかいない環境のため、同年代の友人と公園や広場で遊んだ記憶は極端に少ない。

大運19歳まで・辛亥

冬の季節で川の水はとても冷たく、人が訪れるにぎやかな風景ではありません。

中高時代
学校では孤立。
友達ができないことに加え、高校受験のストレスにより、肥満となる。玉川学園高等部1年生のとき不登校に陥り、約1年間引きこもり生活を送る。

窓の無い自室でミュージカルやクラシックなどの様々なレコードを聴く生活の中で、演出家を志すようになる。1年生の終わりに慶應義塾大学病院の精神科で受けた小此木啓吾による治療が功を奏し、再び学校に戻る。

ウィキペディアより)

玉川大学文学部芸術学科演劇専攻科へ進学。
4年生の途中、親に内緒で受けたミュージカル『ピピン』のダンサーのオーディションに受かる。
先生に相談したところ、退学をして社会に出た方が良いとアドバイスを受け、玉川大学を中退。

大運29歳まで庚戌

秋に季節は変わりました。

ダンサー・振付師時代
1978年・戊午・20歳
ミュージカル『シーソー』でダンサーとしてデビュー。
1980年・庚申・22歳にはミュージカル『ヘアー』に出演。

『アニーよ銃をとれ』『シカゴ』などに出演。
1984・甲子・26歳
『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』で振付師デビュー。
その後もダンサー、振付師として活動する。
出演者の間、六本木のショータイムのあるクラブでアルバイトをし資金を調達して、ほぼ毎年ニューヨークへも訪れている。
24歳・壬戌
池尻大橋にダンススタジオをオープンさせ、1年間の経営後、2年間ロンドンへ留学。
25歳・癸亥

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ロンドンにいる2年間で見た舞台の数は700以上とされる。
帰国後、演出家を目指すため名前を亮次から亜門へ改名。(現在、戸籍上でも亜門)。
演出家デビュー
1987年・丁卯・偏官・29歳・
オリジナルミュージカル『アイ・ガット・マーマン』で演出家としてデビュー。
翌1988年に同作品で文化庁芸術祭賞を受賞する

39歳までの大運・己酉

1993年・癸酉・35歳
ネスカフェのゴールドブレンド「違いのわかる男」として一般的に認知されるようになる

「宮本亜門といえば、ブロードウェイ・ミュージカル」という違和感を払拭し、アジアへの興味を作品にしたいと、オリジナルミュージカルに挑戦するが、批評家が観劇しないという状況で極度のスランプに陥いる。

己土、濁壬の事象で、清らかな川の水が己土によって、泥が混じった流れとなり、辛金の輝きが見えない。

49歳までの大運・戊申

ミュージカル『太平洋序曲』(Pacific Overtures)
2000年・庚辰・42歳
新国立劇場で上演。
この作品の作曲家のスティーヴン・ソンドハイム (Stephen Sondheim) が、高松宮殿下記念世界文化賞の授賞式に参加するために東京にいた事と、作詞家のジョン・ワイドマン(John Weidman)が、劇団四季のミュージカル上演のために東京にいた事が重なり、亜門版『太平洋序曲』(Pacific Overtures)を観劇。

亜門が巨匠のように崇めているスティーヴン・ソンドハイムの評価と感心が高く、高松宮殿下記念世界文化賞の受賞スピーチで、自分自身の事ではなく亜門演出がいかに素晴らしかったか讃えたほどだった。

2002年・壬午・
リンカーンセンターの国際フェスティバルと、ワシントンD.C.のケネディーセンターへ招聘された。

2004年・甲申
アメリカ人キャストでニューヨークのオン・ブロードウェイで東洋人初の演出家としてデビュー。
2005年・乙酉・47歳
トニー賞において同作品は4部門にノミネートされた。

59歳までの大運・丁未
ミュージカル『UP IN THE AIR』
2008年・戊子・50歳
水上勉の「ブンナよ、木からおりてこい」を原案にした作品。
2010年・庚寅・6月、
ロンドンのウエストエンドで上演し、ウエストエンドデビューを果たす。
舞台劇『金閣寺』
2010年4月にKAAT 神奈川芸術劇場の初代芸術監督に就任。

2011年1月のこけら落としで三島由紀夫原作の「金閣寺」を舞台化。
2011年・辛卯・7月に
『太平洋序曲』(Pacific Overtures)に続いて2回目となる、NYリンカーン・センター・フェスティバルに正式招聘された。
2012年1月にはアメリカからの凱旋公演として東京、大阪で再演された。
オペラ『魔笛』
2013年・癸巳・
オーストリア・リンツ州立歌劇場のシーズンオープニングとして抜擢。9月に世界初演。欧州でのオペラ初演出。
和太鼓 DRUM TAO『百花繚乱『日本ドラム絵巻』』(英題:DRUM HEART)
2016年・丙申2月、
ニューヨーク、オフ・ブロードウェイにて上演。初の和太鼓演出作品。
能 x 3D『幽玄 YUGEN:The Hidden Beauty of Japan』
2016年10月、日本・シンガポール外交関係樹立50周年を記念し、シンガポール・リバーナイトフェスティバルにて世界初演。観世流能楽師出演。

ウィキペディア・宮本亜門より)

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