長男が親に敬語で話し長女の反抗期が20年続いた理由(2)

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長男は、静かな反抗で会話を極力しない、話すときは敬語でよその人と話している感じで、特に家族以外の人のまえでもそういう話し方でしたから、親戚のあつまりなんかでは、みんなビックリした表情で・・・・・・。

そして、娘が反抗期に突入したのは、中学2年の夏休みからでした。
中学のクラブでスポーツをしていたのですが、顧問の先生と合わないらしく、辞めてしまったのです。

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長男との喧嘩のシーンで感じておられるかと思いますが、長男には少し厳しく、長女には、甘い両親だったのです。
長女は、甘やかして育ててしまいましたので、なんでも自分の思い通りにならないと気がすまない、わがままな性格にしてしまったのです。

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私は、甘やかして育ててしまった、と思っていたのですが、長女が思っていたのは、
「お母さんは、私の話を聞いてくれない!いっつもあっち行っといてって、邪魔にして!」

そうなんです。
長女が3歳になるかならないうちから、友禅の彩色の仕事を家でしていましたので、夕御飯の用意しなければいけない時間ぎりぎりまで仕事に追われ、主人が返ってくるまでに夕御飯を作らなければ・・・・と、長女がお母さん、と話しかけてきても、ろくに返事をしていない、顔をみて、目をみて話をしていなかったのです。

寂しい子供に、気がつかなかったのです。

夕御飯時には、話をしていたつもりでしたが、主人も仕事のことを喋って聞いて欲しいタイプでしたし、おまけにそのころ私の実家でいろいろあって、夕御飯ときに限って電話がかかってきて長電話になり、ゆっくり家族の会話ができないこともありました。

今、思えば子供が好きなメニューにして、長男や長女と一緒にハンバーグのミンチでお団子作ったり、コロッケのじゃがいもを丸めたりすればよかったんですよね。自分ひとりで頑張らなきゃって思い込んで、工夫することが思い浮かばなかった。

人のせいにしてはいけないけれど、自分の育った家庭環境が料理を一緒に作るなんて考えられない環境だったから、教えてもらえないものは使えない私だったのです。

長女は、中2から反抗期、ダンスにはまって、ダンスが好きな友人たちと夜遅くまで、広い空き地で踊って返ってくる毎日でした。
学校の勉強は、もちろんしませんでしたが、英語だけはなぜか、成績がよかったのです。

高校受験になって、
「高校はいかない、アメリカへ行く」
と言い出し、あわてさせてくれました。

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アメリカへ留学させるほど、生活に余裕があるわけがなく、高校を卒業したら、アメリカへ行っていいから、となんとか説得したのですが、国際科のある高校しかいかない、と頑固に言い張ります。

それは、勉強してこない長女にとってレベルが高すぎて・・・・・。
でも、仕方がないので、とにかく入学させなきゃ、の思いで家庭教師をお願いしました。

塾をおやすみしていたのですが、もう一度お願いしたいと、電話すると、
「おたくのお嬢さんがくると、雰囲気が壊れてしまうので、お受けできません」
と断られてしまいました。
外でもマイペースで自己主張の強い性格のままで、周囲から浮き上がっていたようです。

勉強が嫌な子供に勉強させるのって大変ですね。
家庭教師の先生に感謝です。
小学3年生のところくらいからやり直してくださったような・・・・。

おかげさまで、私立のほうは特にレベルが高くて、落ちてしまいましたが公立高校の国際科に、なんとか滑り込むことができました。

でも、その後が、まあ大変、英語は、アメリカへ行きたい気持ちがあるので、成績はいいのですが、他の学科が・・・・・・アヒルの行進状態。
おまけに、単位を計算しながら、出席日数を自分で決めていて、朝になっても起きてきません。
部屋の内側に自分で鍵を取り付けてしまい、部屋の中に入ることができませんでした。
学校から電話がしょっちゅうかかってきましたが、親は、謝るしかできなくって・・・。

ほんと、ダメな親でした。

でもね、娘も精神的に大変な思いをしていたようなんですが、それにも気がつかない、私だったんです。

続く

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